加地亮【サッカー選手】

努力が運を引き寄せる

2014年、ロサンゼルスにあるChivas USAにシーズン中に移籍をし、話題を集めた加地亮選手。
ガンバ大阪で8年間日本のサッカー業界を盛り上げた加地選手の新たな挑戦に多くのサッカーファンの中で期待が高まっています。

加地選手のサッカー人生は決して順風満帆なものではありませんでした。
生まれながらにして天才的な才能を持っていたわけでもないと語る加地選手は、まさに努力の達人でした。

広島県の淡路島に生まれた加地選手は小学校1年生のころからサッカーを始めました。
当時はとてもシャイで人の後について回るのがほとんどだったという加地選手。
サッカーも友達が始めたから一緒に始めたそうです。

当時のサッカーチームの監督はとても厳しく加地選手たちを指導したようです。
しかしこの厳しさこそが、のちに自分のためになったと加地選手は振り返ります。
中学でもサッカー部に所属した加地選手は、体の発達の遅さに悩まされることになります。
接触の多いサッカーでは体が小さいことは怪我につながりやすく、加地選手も怪我に悩ませ続けらせていました。

しかしそんな中でも、努力を続けることだけはやめず、徐々に頭角を現すようになりました。
そんな加地選手の努力できる能力を見抜いた当時の監督が、サッカー名門高校への入学を勧め、加地選手はさらに高いレベルでのサッカーを経験することとなります。
しかし高校に入学しても体の成長は遅いままで、1年生、2年生と試合に出ることもない生活が続いたようです。

しかしそんな状況でも加地選手は努力をやめませんでした。
そして高校3年生の時、体が出来上がった頃には努力の成果が表れ、加地選手は一気に有力な選手として活躍を始めます。
そんな加地選手の活躍がスカウトマンの目に留まり、プロデビューを果たすこととなったのです。

プロで戦うということ

加地選手がプロになった頃のサッカー業界は活動が派手だったこともあり、プロになってすぐに多くの試合に出ることになりました。
しかしその頃を振り返り加地選手はうぬぼれていて自分を客観的に見ることができなかったと話しています。
結果的に怪我が続き、試合にも出ることができない状態になっていたそうです。

このままではいけないとJ2だった大分のクラブに自ら希望をだし、移籍した加地選手は、そこで、プロとしての自覚や、練習法、体作りなどを学び、また努力を重ね、プロで活躍できる自信を自らつけていったのです。
その後J1のチームに戻り、ガンバ大阪で8年間を過ごすこととなります。

さらなるステップのため、そして子供のために

新たなステップとして海外でのプレーを希望していた加地選手は現在アメリカで活躍をしています。
想像以上に日本とアメリカではプレースタイルや、選手の考え方などが違い、戸惑いがあったと語る加地選手は、自分がこのチームで何ができるのか模索をしているようです。

加地選手がアメリカ行気を決断したのは、自分の挑戦のためもありましたが、加地選手自身の子供のためでもあったようです。
小さいうちから広い世界を見せることで子供たちに自分の将来の選択肢の幅を増やしてあげたいという願いがあったため、家族を連れてアメリカへと渡る決意をしたのです。

子供たちのために一生懸命働いてくれた母親の姿に感銘を受け、努力することを惜しまなかった加地選手。
そんな経験がある加地選手らしい選択なのかもしれません。
今後も加地選手の活躍に目が離せません。