森本 正治【料理人】

野球少年から寿司職人に

森本正治氏は、和食の料理人です。今でこそ、アメリカで料理店の経営を営んでいますが、これまでの人生は波乱万丈でした。森本氏は、高校までは根っからの野球少年であり、将来はプロ野球選手を目指すぐらい野球に打ち込んでいたのです。1973年の夏の広島県予選では、決勝にまで進出したものの、甲子園への出場という夢を果たせずに終わってしまいました。これにより森本氏は、プロ野球選手の次に憧れていた、寿司職人を目指すことにしたのです。

高校を卒業後、寿司職人になるために寿司屋で働いたのですが、実はこのお店は寿司専門店ではなく、洋食や定食も出すようなお店だったので、肩透かしを喰らってしまいました。ただ、そのことが結果的に森本氏を、世界で活躍させるきっかけとなったのです。数年間このお店に努めたのち、地元である広島市内に夫婦で喫茶店を営むことになりました。しかし、思うように経営が上手くいかず、結局4年で閉店することになったのです。

アメリカでの活躍

転機が訪れたのは1985年でした。この時にアメリカでは、カリフォルニアロールが絶大の人気を集めていました。それに目をつけた森本氏は、ニューヨークで色々な寿司屋で修行を積んだ後、ソニー本社内にあるダイニングの新規募集に応募をし、見事採用されることになったのです。ここから、森本氏は一気にアメリカで駆け上がることになるのです。

1993年には、アメリカ国内で日本料理レストランの開店に携わり、そこの料理長を任されることになったのです。森本氏は、日本の和食文化を活かしたメニューを次々と開発し、それがアメリカ国民から絶大な支持を受けたのです。辛口採点で知られているニューヨーク・タイムズの評価も非常に高く、もはやニューヨークでは森本氏を知らない人はいないと言われるぐらい、有名な料理家として知れ渡ったのです。

その後はニューヨークやアメリカのみならず、様々な国に店舗を構え、年商は実に5000万ドルを超えています。アメリカでの料理家としての業績が認められ、世界で活躍する日本人に選ばれたのです。料理家としてここまでアメリカ国民に知れ渡っているわけですから、これは本当に凄いことだと言えます。

失敗をチャンスに

森本氏にとっては、高校野球の決勝戦で敗れてしまったこと、就職した寿司屋が専門店ではなかったこと。これらがあったからこそ、今の森本氏があるのでしょう。もちろん、高校野球で勝っていればプロ野球選手になれていたかもしれませんし、寿司専門店に就職していたら一流の寿司職人になっていたかもしれません。しかし、人生というものは、成功した時だけでなく、失敗をした時に大きな転機やチャンスが訪れるものなのです。